18941202 NO1492 李鴻章は天津を逃亡したとの説がある

18941202 NO1492 李鴻章は天津を逃亡したとの説がある

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駐韓日本公使館記録 3巻 八. 和文電報往復控 追加 (244) [李鴻章の動向などに関する 上海電報]

文書題目 (244) [李鴻章の動向などに関する 上海電報]

文書番号

発信者 次官 児玉 (陸軍省 次官 児玉源太郎

受信日 同 二日午前参時接 ( 1894年 12月 02日 )

受信者

(244) [李鴻章の動向に関する上海電報]

同 二日午前参時接

児玉次官

上海電報

李鴻章は天津を逃亡したとの説がある。

鎮遠号は破損して使用に適さない(*日本軍はまだ鎮遠を鹵獲していない)。

清国人は李鴻章に対し甚だしい悪感を抱いている。同人が逃走したとの風説は講和員 (デツトリング等をいう)の派遣があって起こったものである。

児玉源太郎

明治25年(1892年)8月23日 - 陸軍次官兼陸軍省軍務局長に異動。

明治26年(1893年)4月12日 - 兼任 理事、叙 高等官一等、陸軍省法官部長に異動。[3]

明治27年(1894年)

10月26日 - 正四位に昇叙。

12月26日 - 勲二等瑞宝章を受章。

明治28年( - 1895年)

3月25日 - 大総督府派遣中大本営陸軍参謀に異動。

4月1日 - 臨時陸軍検疫部長を兼帯。

6月29日 - 臨時台湾電信建設部長兼臨時台湾燈標建設部長に異動。

8月20日 - 男爵を受爵。勲二等旭日重光章を受章。

11月14日 - 臨時広島軍用水道施設部長を兼帯。

鎮遠号 「清国海軍がドイツのフルカン・シュテッティンに発注して建造した甲鉄砲塔艦「定遠級」の1隻。建造当時東洋一の堅艦と呼ばれた。日清戦争において12月24日 威海衛沖で座礁。翌年2月17日、日本海軍に鹵獲(ロカク *戦地などで敵対勢力の装備品・兵器や補給物資を奪うこと)され、戦後に戦利艦として日本海軍に編入された。